涼の指先が首を撫で、ゾワリと鳥肌が立つ。
愛撫するような動きではあったが、同時にそのまま首を絞められそうな奇妙な恐ろしさもあった。
（今動くのは、危険……）
直感でそう思った朔は固まったまま息を
すぐさま攫われる様子は無かったし、万が一のときは結界を張れば逃げられるからとまずは様子を見ることにした。
「そいつも出てけって言ってるんだし、俺の所に来いよ。大事にしてやるぜ？」
耳元で囁かれ、吐息と彼の長い前髪が僅かに掛かる。
嫌悪に近い感情で顔が歪む。
変転し、大きな力を手に入れても朔は涼に対して怖くて泣きたい気持ちになった。
「だから、出てけなんて言ってねぇし」
ボソリと、でもはっきりと聞こえるように涼を睨んだままの月人が言った。
涼にも聞こえていたはずだが、彼は気にするどころか完全に無視する。
「なあ朔。鬼の屋敷に帰らないで、このまま俺と来いよ」
これが里桃であったなら一々反応して怒りを露わにしただろう。
だが涼はそれほど単純では無かったらしい。
無視というより、これは完全にいないものとして扱っている。
そんな涼の態度に月人の方が怒りを覚えたようだ。
「聞けよ、無視すんな！ それといい加減朔離せ！」
少しムキになったような言い方に、涼は小馬鹿にした様な笑いを洩らす。
「フン、離す訳ないだろ。朔の返事がどうであれ、このまま連れて行くに決まってる」
確かに聞くまでもないことではある。
初めから朔を狙っていた涼。離せと言われて言うことを聞く訳など無い。
首筋を撫でていた涼の指が絡みつき、覆うように掴んだ。
そして優しく力が込められる。
「っ――」
強く締めつけられている訳ではないが息苦しさは感じる。小さく目眩を感じる程度には。
まるで少しずつ獲物を弱らせて行くかのように。
「まさか変転までするなんてな……。益々欲しくなった」
仄暗い色の目を細め、涼は朔の顔を覗き込んだ。
前より深くなっている様にも見える暗い瞳。
その視線は金縛りの様に朔を絡め取っていた。
（逃げ、られない……）
捕縛の視線は体だけでなく心までも縛っている様だ。
結界を張ろうとしても、心が怯えて力を発動出来ない。
もっと早く逃げれば良かったと、後悔しても後の祭り。
絶望が心を支配しようとする中、二人の月鬼が現れた。
「ったく、遅いと思ったら……。ちゃんと守れよ、月人」
溜息混じりの桂。
その後ろには無言で涼を睨む銀兎がいた。
「えーっと、涼とか言ったっけ？ 朔ちゃん離してくれねぇかなぁ？ その子、俺達のモノだから」
桂の最後の言葉に引っ掛かりを覚える。
だが今はそれを気にしている余裕はなかった。
自分は捕らわれ、逃げることが出来ない。このまま涼に連れ去られたくない以上他の誰かに助けを求めるしかないのだ。
それは月人では駄目だった。
彼の傷つく姿をもう見たくないと思っていた朔にとって、月人に助けを求めるという選択肢は初めからない。
だから桂と銀兎が現れて少しホッとした。
彼等は力のある月鬼だし、それに二対一。桂達の方が有利だ。
彼等に迷惑を掛けたと朔は落ち込んだが、これで涼から逃げられるとも思った。
だが、その考えがいかに甘いのかをすぐに思い知る。
「三対一とは卑怯だな」
笑みを浮かべている涼は、本当に卑怯だと思っているのかどうか。
そんなこと思っているとは思えない様子で彼は朔を抱きしめた。
「っ！」
そして、首を掴んでいた手の力を強める。
「卑怯には卑怯をってな。朔を傷付けられたくなかったらそこをどけよ」
「朔を傷付ける？ それはお前にとっても望まない状況何じゃないのか？」
涼の脅迫に応えたのは月人。
僅かに焦りを滲ませながらも挑発する様に言う。
「確かに、傷付けずに手に入れられるならその方が良いに決まってる。でも、手に入れるためなら最悪命があればそれで良いさ」
だが涼は薄く笑みを浮かべたまま。
月人の方が本気で焦りはじめる。
桂と銀兎も動くに動けない様だった。
朔は自分が人質状態だからなのだと気付き、後悔する。
何が桂や銀兎なら強いから大丈夫、だ。
どんなに強くても、自分が人質になってしまったら手が出せないではないか。
（こんなときこそ結界の力が必要なのに……）
そう思い、もう一度結界を張ろうと試みる。
集中して、自分の中にある力の源を見つけたら一気に解放する。
何度も訓練した方法。
だが、実際は首を締めつける力によって集中すら出来ない。
何がなんでも、もっと早く逃げれば良かったと自分を呪う。
そのときだった。
月鬼とも、桃太郎の一味とも違う気配を感じたのは。