「じゃあ、行くか」
「うん……」
鞄を持って来てくれた月人に促され、朔は保健室を出た。
今は三時限目真っ最中。廊下は静まり、人の姿はない。
二時限目が終わって少ししてから月人が来てくれた。
銀兎と桂が外で待っているからと月人はすぐに出て行こうとしたが、朔が少し待って欲しいと頼んだ。
休憩時間だから廊下には誰かしら人がいる。その人達が自分をどんな目で見るのか不安だった。
クラスメートのようにあり得ない反応をされたくない。……今は誰にも会いたくなかった。
里桃の言葉のおかげで少しは落ち着いたが、周囲の反応がおかしいことに変わりはないのだから。
遠くに体育の授業中の声や音を聞きながら、誰もいない廊下を二人無言で歩く。
そうしていて朔はふと思った。
（そういえば、月人も私が変転したからと言って態度を変えたりしなかったな……）
初めの頃より会話の数が減って来た月人。
玉兎に遠慮しているのか、屋敷ではほとんど話掛けて来ない。桂達が来てからは、彼等にも遠慮している様な気さえした。
学校に来てもクラスは違うし、会話する機会などほとんどない。
その所為か、今の今まで気付かなかった。彼の態度に変化が無いことに……。
月人は今、自分をどんなふうに見ているのか。急に聞いてみたくなった。
それでもすぐには声が出せない。自分から質問すると言うのは未だに慣れなかった。
何度も声を出そうと奮闘し、校舎を出てからやっと言葉に出来た。
「あ、あの。月人くん」
「え？」
声を掛けられると思っていなかったのか、前を歩いていた月人はちょっと驚いて振り向く。
朔は話し出した勢いを逃さないようそのまま続けた。
「月人くんは、変わらないね。……その、私が変転、しても……」
口にしながら、これは聞いてもいいことだったのだろうかと心配になって来て尻すぼみになる。
思わずうつむいてしまいそうになるが、月人がどんな反応をするのか気になって視線だけは彼の顔を見ていた。
月人はすぐには何も言わず、表情は――。
（……固まって、る？）
月人は驚いているような、無表情なような。
何とも言えない顔で固まっていた。
「あ、あの……月人くん？」
反応が読めず、思わず名前を呼ぶ。
「えっ……あ、ああ」
彼は目を瞬かせ軽く弾かれたように返事をした。
「悪い。俺も今言われて初めて気付いたから……」
「そうなの？」
「ああ……。ちょっと、それ以上に気になる事があったから……」
月人の言葉に朔は少し驚く。
自分で言うのも何だが、今の世で唯一変転出来る月鬼よりも気になる事とは何なのだろうか。
あまりにも気になってしまい朔は聞き返した。
「気になる事って？」
「……」
珍しく普通に聞く事が出来たというのに、月人はまた表情を固まらせて黙ってしまう。
これは本当に聞かない方が良かったのかと一瞬思ったが、彼は何か言いたそうな目をしていたのでそういう訳でもなさそうだ。
「これは、言うべきことじゃないんだけど……」
何とか話し始めた月人は朔から視線を外している。
「朔……。お前は、あの屋敷にいない方が良いかもしれない……」
「……え？」
耳に届いた言葉が信じられなかった。
今の朔にとって唯一の居場所とも言える御津木の屋敷。そこにいない方が良いと言う月人。
「どう、いうこと……？ 屋敷を、出て行けって……こと？」
どくどくと、鼓動が速くなり息苦しい。
拒絶された様な、捨てられた様な気持ちになった。
「違う。あ、いや……同じことではあるんだけど。そうじゃなくて――」
「どう違うの！？ 私、あそこ以外に行くところなんて無いのに！」
月人の言葉を遮った朔は、もう聞きたくないとばかりに荷物を落とし耳を塞いだ。
「朔、誤解するなって！ 出て行けって言ってる訳じゃない！」
「嫌！ いやいや！ 私にどこへ行けって言うの！？」
月人の言葉を聞かず、子供のように
朔は月人が困るだろうことはちゃんと分かっていたが、今は色んな事が受け入れられなかった。
受け入れられないから、聞かないふりをしたかった……。
そんな朔に困り果て月人が黙ってしまうと、思いもよらぬ第三者の声が聞こえた。
「来る所ならあるだろ？ 俺の所に」
蠱惑的にすら聞こえる口調。でもそれは、彼の瞳同様暗く冷たく朔の耳に届く。
少しパニック状態だった朔は、彼が近くに来るまで気付くことが出来なかった。気付いたときには後ろを取られていた。
ヒタリと朔の首筋に男の指が添えられる。
声が聞こえた時点で固まっていた朔はビクリと一瞬だけ震えた。
向かい合った月人が、朔の後ろを睨みつけ憎々しげに名を呼ぶ。
「――涼……」