「っ――」
二人の言葉に朔は息を飲む。
脳裏に一人の男の姿が浮かび、恐怖が蘇えった。
対面していたのは数分だけだが、あの存在を忘れるわけがない。
冷たい瞳に熱が宿った瞬間もまざまざと思い出せる。
彼は確かにこう名乗っていた。
第68代“桃太郎”――。
「吉備 里桃……」
殺されそうになったあの瞬間を思い出し、震える声で名を呟いた。
それに気付いた華が指先まで冷たくなった朔の手を握ってくれる。
「大丈夫。もう大丈夫だから」
そう言い聞かせてくれた。
手に伝わる華の温もりが、
震えがゆっくり治まっていった。
「吉備 里桃……。それが今代の“桃太郎”の名前かい?」
朔が落ち着いたのを見計らって玉兎が聞く。
聞かれた朔が顔を上げると、困ったように彼は笑った。
「君が“桃太郎”に襲われていたというのは華から聞いていたからね」
驚いた表情でもしていたのだろうか。玉兎の口からはそんな説明が出てきた。
確かに里桃が名乗った次の瞬間に華と月人が助けてくれた。聞こえていてもおかしくはない。
思い返せば、対面していたときも華達は里桃が“桃太郎”だと分かっていたように思う。
「はい、確かにそう名乗っていました。第68代“桃太郎”と……」
「そう、“桃太郎”。あの里桃と名乗った男は、私達月鬼の祖先を滅ぼした人間の子孫なの」
朔が答えると、華は彼女の手をゆっくり離しながら説明を再開させた。
「そして彼の一族は、今も尚月鬼を滅ぼそうとしているのよ。生き延びた月鬼の集落を見つけては退治しにくる。それを彼等は繰り返してる」
「繰り返して? ……っ!」
華の言葉の意味する所を察した朔は、見る間に顔色を変えた。
月鬼の集落を見つけては退治しにくる。
その退治しにくる“桃太郎”はこの近くに既にいた。
つまり、彼は月鬼である華や玉兎達……そして朔の命を狙っているということだ。
やっと、里桃が自分を殺そうとした理由を知る。そして、これからも命を狙われるのだということも。
朔が理解したことを察したのだろう、華は優しく、だがしっかりとした声音で「そうよ」と言った。
「里桃は私達を狙ってる。貴女もまた、あいつに狙われているの」
はっきり言葉にされ、ゾクリと体が震えた。
だが、玉兎が安心させるように微笑む。
「そしてそれが、君をこの家に引き取る理由だよ」
「え?」
「だって、今のままだと貴女を守れないもの。学校に行っている間とかは守り手を使わせることも出来るけど、流石に貴女の家にまで押し掛けることは出来ないわ。でもこの家に居ればここにいる間は皆で守ることが出来る」
だから伯父夫婦に交渉して、朔をこの家で引き取ることにしたと華は言う。
一度助けてくれたというのに、これからもずっと守ってくれる。
朔は申し訳なく思うのと同じ位、彼等に感謝した。
自分のことを、こんなにも気遣ってくれる人がいる。
その奇跡のような存在は、水面に落ちる雫のように朔の中の孤独に波紋を広げる。
温かいものが、心に広がった。
「貴女を守りたいから、家の人に貴女を引き取ると言ったのよ? ……納得してもらえた?」
華が、少し不安を滲ませた瞳で聞いてくる。
朔は返事の意味も込めて「有難う御座います」と礼を口にした。