そうしているうちに、車は見慣れた住宅街に入る。
住み慣れた家にはすぐに着いた。
この時間なら伯父夫婦はまだいるだろう。
顔を合わせるのはいつぶりだろうか。
大抵は二人共仕事に行っていて顔を合わせないし、彼等が家にいたとしても朔の方がほとんど自室に引きこもっているから、顔を合わせるとしたら食事のときくらいだ。
と言っても、いつも朝起きると二人は既に仕事で家を出ていたし、夜は二人とも遅かった。
休日の食事は朔が中学に上がった頃から各自で用意することにしていたから、顔を合わせるのは珍しい。
車が停まり降りると、玉兎がわざわざ降りて来てくれた。ちなみに月人は相変わらずだ。
「大事な姪御さんを預かるんだ。ちゃんと挨拶しておかないとね」
そう言った玉兎に、朔はどうしようもなく申し訳ない気分になった。
どう考えても、伯父夫婦にとって自分が大事などとは思えない。
わざわざ挨拶するために出てきてくれた玉兎にまで、失礼な態度を取ってしまうのではないかと心配だった。
そう思って家に入るのを躊躇っていたが、玉兎が「行こうか」と先にドアに向かってしまう。朔は慌てて後に続いた。
ドアの前に先に着いた玉兎が呼び鈴を押すと、中でピンポーンと音がする。
そして少し間を置くと呼び鈴に備え付けられているスピーカーから声が聞こえた。
『はい、どなた?』
少し甲高い声。伯母だ。
「あ、おはようございます。昨夜お電話した御津木と申します。朔さんの荷物を取りに来ました」
玉兎が答えると、スピーカーから聞こえる声がガラリと変わる。
『ああ、どうぞ。勝手に入ってきて頂戴』
先程より低めの、何の感情も入っていないような声音。
朔の知る、いつもの伯母の声だった。
あまりの変わりように流石の玉兎も目をぱちくりさせたが、気を取り直して「はい、有難う御座います」と返していた。
しかも彼は遠慮なくドアをガチャリと開け、一応「お邪魔します」と口にはしたものの本当に勝手に家の中に上がり始めた。
そんな玉兎に今度は朔が目をぱちくりする。
素直なのか、ただ単に何も気にしていないだけなのか……。
「朔さん、どうしたんだい? 早く着替えないと学校に遅れるよ?」
「え? あ、は、はい!」
開いたドアを押さえた状態でポカンとしていた朔は、はっとして玉兎に続いた。
玉兎を部屋に案内し、二人で少ない荷物を急いで詰め込んだ。
途中、玉兎に下着が入っている引き出しを開けられそうになり真っ赤になって彼を止めるというハプニングはあったが、それ以外は滞りなく進んだ。
荷物を詰め終わると玉兎に先に車に戻ってもらい、朔は華から借りていた着物から制服に着替える。
そして、伯父夫婦がいるであろうダイニングへ向かう。
きっともうこの家には戻って来ないだろうから、今まで育ててくれたお礼を言わなくては。
ずっと厄介者のように扱われてきたが、ちゃんと高校に入学させてくれた。
最低限必要なものは買ってくれたし、朝食もお弁当も毎朝作ってくれていた。
例えそれが義務的なものだとしても、そのおかげで自分は今まで生きてこられたのだ。
その点だけでも、彼等には感謝していたから……。
ダイニングに行くと、二人は丁度朝食を終えたところだった。
朔が入ってきたことに気付いているのかいないのか、視線も向けず食器を片付けている。
「伯父さん、伯母さん」
呼びかけてやっと、二人は朔を見た。
驚いていない様子を見ると、やはり朔がダイニングに入ってきたのは気付いていたようだ。
だがそんなのはいつものこと。居るのに居ない様に扱われるのは……。
朔はその慣れた反応を気にも留めず、二人がこちらを見ているうちにと今までの礼を口にする。
「今まで育ててくれて有難う御座いました」
そうして頭を下げながら、何だか嫁にでも行くような台詞だと思った。
おかしな気分だったが、あながち間違ってもいないのかもしれない。
もうこの家の人間ではなくなるのだし、玉兎との婚約話まで出ているのだから。
だとしたら、伯父夫婦も少しは寂しがったりするのだろうか?
考えて、すぐにあり得ないと自嘲した。
実際、その後の伯父の言葉は何の感情も浮き出てはいなかった。
「ああ……。元気でやれよ」
取って付けたような義務的な言葉、言い方。
「そうね。どういたしまして、さようなら」
伯母も同じだった。
顔を上げるともう二人は自分を見てはいなかった。また、居るのに居ない様に扱われている。
小さい頃、この人達に気に入られようと頑張っていた時期もあった。
気に入られるのが無理だと分かっても、諦めたくなくて葛藤していた時期もあった。
だが、おそらく最後となるであろうこの瞬間まで彼等は変わりない。
それが、少しだけ悲しかった。
朔は最後に、こちらを見もしない伯父夫婦に「さようなら」と告げ、二人の前を――今まで家だった場所を後にした。