道場の中央に移動した朔達は、向かい合うようにして座る。
まずは自分が手本を見せるからと、華は目を閉じ集中していた。
そしてほどなくしてその目は開かれる。
朔にはその間何があったのか分からなかったが、どうやら結界が張られたらしい。
華は自信有り気に微笑んで「さ、私に近付いてみて」と言った。
言われた通り立ち上がって近付くと、あと一歩と言うところで何かに阻まれた。
まるで壁にぶつかるようにつま先を打つ。
「っ――!」
痛くて、しゃがんでつま先を押さえた。
「あ、ごめんなさい」
謝ってくれた華だったが、それは笑い混じりのものだった。少し彼女を恨めしく思う。
何とか痛みを耐えきってもう一度立ち上がった。
今度はぶつけない様に、ゆっくりと足を前に出す。
トン、とやはり何かに当たった。
試しに手でも確認してみようと手を前に出すと、前には何も無かった。だが、そのまま手を下げるとやはり何かあった。
場所を移動してその何かをぺたぺたと触ってみる。
どうやら、それはドーム状になって華の周りを囲んでいるようだ。
「分かる? これがさっき話した結界よ」
まさに見えない壁。
朔は華の言葉にコクンと頷きながらも、信じられない面持ちでその結界をぺたぺたと触り続けていた。
「今は私だけを囲んでいるけど、やろうと思えばこの部屋一つ分くらい簡単に結界が張れるわ」
無遠慮に華の周りをうろちょろしている朔に、彼女は気を悪くすることも無く説明をしてくれる。
「流石にこの家全てとなるとかなり大変だけれど」
苦笑気味に言った華。
確かにこの家全てはきついだろう。全体図が分かるわけではないが、かなり大きい家だとは思うから。
「……さてと」
華がそう呟くと、そこにあったはずの壁が消えた。結界を解いたのだ。
それまでぺたぺたと結界に触れていた朔は、突然消えた結界のおかげでバランスを崩す。そのまま華の方へと倒れこんでしまった。
「う、わぁ!?」
ぶつかると思って目を閉じた朔は、思ったほど衝撃が無いことに気付き驚く。
というより、衝撃そのものが無かった。
どこか宙に浮いている様な感じもする。
そろそろと目蓋を開けると、実際似たような状態になっていた。
つま先は床についているけれど、他に体を支えている部分は無い。そしてお腹のあたりになにか感じる。何というか、風に押されている様な……。
「いきなり結界を解いたら危ないだろう、華」
苦笑混じりの低い声が入口の方から掛けられる。
その声を聞いた途端朔の心臓が大きく跳ねた。知らず頬が朱に染まる。
見なくても分かる。玉兎だ。
「あ、兄様。いや、その……まさか倒れてくるとは思わなくて……」
あはは、と笑って誤魔化す華は座ったままだ。
朔はそんな彼女を見て。
(体勢立て直すの手伝ってほしいなぁ……)
とほのかに思った。
玉兎は風を操ると聞いたから、おそらく腹のあたりに感じているものは風だろう。
その風に支えられているとはいえ、こんな不安定な状況では自分で体勢を立て直すことも出来ない。
手伝って貰えそうにない華を見ながらどうしようかと思っていると、両肩を後ろから引かれた。
背中に固い壁の様なものを感じたと思ったら、朔は普通に立つことが出来ていた。
「それでも僕が来なかったらどうするつもりだったんだい? 怪我をしていたかも知れないだろう?」
朔の肩に手を置いたまま、玉兎が華に話しかけていた。
二人の会話を朔は遠い物事のように聞いている。
玉兎の大きな手が朔の細い肩をすっぽり包んでいる。背中には玉兎の体温が伝わってきていた。
ただでさえ男に免疫のない朔。
すぐ側に感じる男性の存在に、体を強張らせ今にも沸騰しそうな頭を何とか冷やそうと奮闘していた。
「兄様は大袈裟ね」
そう返した華は、ふと意味有り気な笑みを浮かべる。
悪戯っぽい小悪魔な笑み。
その口から出た言葉に、朔は現実に引き戻された。
「それとも、可愛い婚約者を少しでも傷つけたくないってことかしら?」
「っ――!!」
何て事を言い出すのだろう。
人が頑張って平常心を保とうとしているというのにその邪魔をしてくるなんて。
華のことはもちろん嫌いではないが、恨めしく思うのは仕方のないことだった。
だが、そんな思いもそこまで。
次の玉兎の行動で朔の思考は停止する。
クスッと小さな笑い声が聞こえてきたと思ったら、耳元で「その通りだよ」と声が聞こえた。
そして衣擦れの音が聞こえたと思うと、目の前に玉兎の顔が現れる。
「君が少しでも傷つくのは見たくないからね」
その微笑みに、その顔の近さに。朔は今度こそ頭を沸騰させた。
真っ赤になって倒れる朔を玉兎が支える。
その姿に、華は楽しそうに笑って言った。
「からかいすぎよ、兄様」
「からかってるのは華だろう? 僕はいたって本気だよ」
そんな二人の会話は、気を失った朔の耳には届いていなかった。