朔を里桃の目から隠すように立ち塞がった月人。相対する里二人は睨み合い緊迫した雰囲気を出す。
だが、そんな二人を見守っている朔が一番緊張していた。
この状態で月人が以前のように里桃の癇に障る様な事を言えば今度こそ殺されてしまうかもしれない。
お願いだから何も言わないでと願いながらこの場をどう収めるかを考えていた朔だが、その願いは無情にも砕け散る。
「あんた、こいつに何してんの?」
そう切り出した月人の声はいつもより低く聞こえた。
「何、だと?」
「こいつのことしばらくは見逃すって言ってたよな? 確かに殺そうとしてるようには見えなかったけど……。でもだからって何しようとしてんだ?」
「……」
里桃は月人の質問に答えることはせず、ただ不機嫌そうに眉を寄せた。
月人が何を言いたいのか分かっているが、わざわざ答えたくはないとでも言う様な表情。
でも、そこで黙られると状況は悪化するだけである。
案の定月人は沈黙を自分の予想していることへの肯定と取ったのか声を荒げた。
「お前何て事すんだよ! 女を無理矢理自分の思うままにしようとするなんて、最低過ぎるぞ!?」
「……
今回は以前とは違い呆れを多く含んだ言葉を口にする里桃。だが、その様子からはやはり月人に今の状態を説明するつもりは無いようだ。
里桃を怒らせるようなことを言ってしまう前に自分がちゃんと説明した方が良いのかもしれない。幸いまだ月人は里桃の癇に障る様な事は口にしていないみたいだ。
そう判断した朔は口を開くが、一瞬の差で月人の方が早かった。
「昨日といい今日といい、何で皆こいつにこんな酷い真似するんだよ! 今日も昨日も、オレが見つけてなかったら……――」
「え?」
月人の言葉に疑問を持った朔は思わず彼の背中に掴みかかった。頭の方を見上げ、現状すら忘れて問う。
「昨日は、月人くんが気付いてくれたの?」
昨日の晩、確かに玉兎と共に月人はいた。だが、直接助けてくれたのは玉兎だったため月人が初めに気付いてくれたのだとは思ってもいなかった。
「そうだよ! すぐに助けたかったけど、でも相手は長だし……。玉兎様を連れてくるしか方法は無くて」
悔しげに告げる月人に、そうだったのかと納得する。
力関係のあるあの家では、狂っているとはいえ長に無礼な真似は出来ないのだろう。月人には、本当に玉兎を連れてくるという方法しかなかったのだ。
「そうだったんだ……。月人くん、昨日は気付いてくれて……玉兎さんを連れて来てくれて有難う」
一番礼を言うべき相手にまだ言っていなかった。そう思い、朔は微笑んで感謝の言葉を口にする。
すると月人は呆れ混じりな表情をこちらに向けた。
「お前、この状況で何言って――」
と、言葉はそこで止まる。
同時に、彼の表情が固まった。
どうしたのかと少し首を傾げると、いきなり月人は顔を前に戻した。その耳が通常よりかなり赤く染まっている。
「お、おおおお前! いい加減ボタン留めろ!」
「へ? ――あっ!」
言われて気付いた朔は瞬時に両手で胸元のブラウスを掴む。そして、月人に負けないくらい耳まで真っ赤に染めた。
両手が自由になってから、何だかんだでボタンを留めていなかった。ずっと片手で掴んだままだったのだ。
それなのに月人の背中に両手で掴みかかったりしたのでまたもや丸見えの状態になっていた。
朔は今度こそボタンを留めながら、泣きたいやら恥ずかしいやら混乱していた。
そうしてボタンを留め終わった頃、唸るような低い声が顔を赤くした二人に掛けられる。
「お前達、俺を無視するとはいい度胸だな」
その声の主である里桃を仰ぎ見ると、彼は明らかに不機嫌な顔で自分達を見下ろしていた。
里桃の存在を忘れていたわけではないが、今がどういう状況だったのかはすっかり忘れてしまっていた。
緊迫した雰囲気が再びその場を支配し、朔はやっと自分の失敗に気付く。
月人が余計なことを言って里桃を怒らせる前に止めようとしていたはずだった。なのに結局は自分が里桃の癇に障る真似をしてしまった。
里桃からはまだ怒りしか感じないが、一歩間違えればその怒りが殺意に変わりかねない。
ゴクリと唾を飲み込み、朔は里桃の出方を窺っていた。
月人が何か言ってしまう可能性もあったが、その前に里桃の口から大きなため息が漏れる。
「はあぁぁ……」
ついさっきまであった怒りすらも吐きだしてしまうかのような深いため息。
実際、息を吐き出し終えた彼の顔にはもう怒りの感情は無かった。あるのは不機嫌……いや、仏頂面といった方がしっくりくるような表情だった。
「な、何だよ、オレ達見てため息なんかつきやがって」
里桃のため息が気に入らなかったらしい月人は彼に突っかかる。だが、当の里桃はそれを全く気にしていないようだ。
「今日はお前たちの相手をする気分じゃない」
「は? なんだよそれ? 先に朔に手ぇ出したのはお前じゃねぇの!?」
「あ、それは――」
怒りも露わに尚も突っかかって行く月人に、朔は今度こそちゃんと説明しなければと口を開く。
だが、里桃は先程の仕返しというわけではないだろうが月人を無視して踵を返す。そのため月人は朔の言葉も聞かずに更に里桃に突っかかった。
「な、おいてめぇ! 待てよ!」
里桃はその声も無視して行ってしまうのだろうと思った。だが、予想に外れて彼は足を止め軽く振り向く。
とはいえ、里桃は月人に呼び止められたから止まったわけではなかったらしい。「言っておくべきことがあった」と前置きをした彼は、射る様な視線を二人に向けて続けた。
「宣戦布告だ。こちらの戦力は揃った。近々、お前たちの住処に直接討伐しに行く」
怖いほどに真剣な表情でそう言い残した里桃は今度こそ保健室を出て行く。流石の月人も今度は引き止めはしなかった。
ドアが閉まり、里桃の姿が見えなくなっても二人は何も言えずただその場でじっと里桃が残した言葉を考えていた。
(宣戦布告……)
今までとは違う。今度は本気で殺しに来るということ。しかも朔や月人だけではない。御津木の家、あそこに住む全ての鬼を退治しにくるということだ。
云わば決戦。
それをしっかり理解し、朔は思わず震えだす自分の体を抱きしめた。
誰か死んでしまうかもしれない。死ななくても、大怪我を負うかもしれない。
このとき朔はまだ、様々な不安を抱えながら震えることしか出来なかった。