その日はとても寒い夜だった。
秋も終わりが近付いてきたとはいえ、まだ本格的な冬には程遠い。
だというのにその夜はとても冷え切っていた。
本格的な冬が来ない限り雪が降らない地域だが、今晩は降ってしまうかもしれないと夕方のニュースで言っていた。
朔は寒さに耐えるように身を縮こませながら布団の中でうずくまる。
寒さの所為でもあるが、里桃がいつ襲ってくるのかという不安から朔は中々寝付けずにいた。
あの日から五日が過ぎようとしている。もうそろそろ彼等が討伐に来てもいい頃だ。
そんな時期に来ているというのに、自分は未だ力の欠片すら自由に扱うことが出来ない。
不安ばかりが胸の内を満たしていく。
嫌なことばかりを考えてしまい、尚更寝付けない。
それを振り切るように何度目とも知れぬ寝返りを打つと、カーテンの隙間から夜空が見えた。
真っ暗な夜空をほのかに照らすのは淡い黄色の満月。
寒々しい夜の月はいつにも増して美しく、そのゾッとするほどの美しさは朔の不安を掻きたてる。
朔は不吉の象徴の様な月を見ないようにギュッと目を閉じ、早く寝なきゃと自分に言い聞かせた。
そしてやっと僅かな睡魔を感じたとき、豪快な破壊音が家全体に轟く。
ゴガォオウゥゥ!
「っ!?」
あまりの轟音に朔は文字通り飛び起きた。
空気の振動を直接肌で感じ何が起こったのか呆然としながら考える。
僅かに訪れていた眠気も完全に吹き飛ばし、混乱しかけていた頭はすぐに一つの結論に至る。
(里桃達が来た!?)
もとよりそれしか思い当たらない。
朔は無意識の内に布団を握りしめ、これから起こることへの不安に耐えた。
そして自分は今どうするべきか。それを考えようとしたとき、ドタドタと激しい足音が廊下に響き渡る。
足音が部屋の前に来たと同時に襖が勢いをつけて開かれた。
走った勢いそのままで開けたのだろう。バシン! と派手な音を立てて開かれた襖に掴まるように華が現れた。
息を切らし、肩を揺らしながら朔を見て表情を和らげる。
「朔……良かった。起きてたのね」
あの轟音で目が覚めないものはいないだろうが、華は確認するようにそう口にする。
彼女は先程の音で目が覚めてすぐここに来たのだろう。その姿は朔と同じように白い下着着物のまま。いつも足袋を履いている足は素足で、髪には少し寝ぐせまでついていた。
朔はそんな華の格好に唖然としながらも「ええ」と答える。
すると華は、朔の視線に気付いたのか頬を少し恥ずかしげに染める。寝ぐせを手櫛で直しながら朔の側まで来た。
「えっと、気付いてると思うけど」
気を取り直す様にそう切り出した華は次の瞬間には硬い表情をしていた。
「“桃太郎”の討伐が始まったわ……」
そうだとは思っていたが、華の口からはっきりとその言葉が出たことで朔の表情も自然と硬いものになる。
硬い表情のまま首肯すると、華は立ったまま今の状況を説明し出した。
「あいつら、正面から来たみたい。あの音が何だったのかは見ていないから分からないけれど、きっと家の正面はかなり壊れているでしょうね。でもあっちにも結界を張れる人間がいるみたい。この家の敷地外には被害が及ばないようにされてるわ。しかも部外者が入って来られないタイプの結界も張られてる。……これほどの力を持つ人間がいるなんて……」
そこまで話すと、華は悔しげに唇を噛んだ。
それほどの結界を張れる人間がいるのは予期していなかったのだろう。その表情には焦りも浮かんでいた。
「……でも、結界に関してはこちらとしても有り難いわ。無関係な人間に来られても困るし」
表情は硬いまま。だが華は自分に言い聞かせるようにそう呟く。
そうしてから朔に視線を戻した。
「とにかく今は兄様達が正面に向かっているわ。私達は奥の部屋へ」
急いで、と差し出された手を取り立ち上がった朔だが、躊躇いがありその場から動けなかった。
「……私達だけ避難するなんて……」
そう口にはしたが、自分が出て行ったところで何も出来ないのは分かり切っていた。寧ろ邪魔にしかならないだろうということも。
それでも玉兎や月人達だけに任せて自分達だけ逃げるのは抵抗があった。
「朔……」
そうして動けないでいると、手を引いていた華の力が弱まりその表情が悲しげなものになる。
そんな華の顔を見て朔ははっとする。華だって同じ気持ちなのだ。
ましてや今里桃達と戦おうとしている玉兎は実の兄なのだ。心配していないわけが無い。
朔は自分の思いが我が儘でしかないことを思い知り、華の手を握った。
「ごめんなさい華、我が儘言って。……行きましょう」
「……ええ」
華は小さく微笑み、そして朔の手を引く。朔も今度は引かれるままに歩き出した。
部屋を出て、朔が行ったことのない家の奥へと向かう。
歩みは自然と小走りになり、二人は不安を振り払うかのように無言で前に進んだ。
他にもいるはずの月鬼達は皆既に最奥へ避難しているのか人の気配は無い。
人気のない広い家はどこか恐ろしくて、無駄に不安だけが募る。
だが、繋いだ手の先に華がいる。
その唯一の安心に、こんな風に不安ばかり募らせていては駄目だなと僅かに苦笑したときだった。
「見つけた」
月明かりすら届かない闇の中から突如声が聞こえ、次の瞬間朔の手は華から離れていた。
力強い腕が朔を背後から抱きつく様な格好で拘束している。大きな掌が、口元を覆い隠した。
その腕が男のものだと知り、そしてこの声が聞き覚えのあるものだと気付く。
数日前に一度会っただけだが、あの時の恐怖はまだ身体が覚えていた。
男が何者なのか気付いた途端朔は全身の肌が粟立つのを感じる。
(どうしてこんなところに……)
ここにいるはずのない人間。
彼は里桃達と一緒に家の正面にいるのではないのか。
考えても分かるわけが無い。
だがそんな朔を嘲笑うかのように、男――涼の喉がクッと鳴った。