人一人を抱えているというのに、涼は軽々と移動する。
暗くて周囲の様子は分からないが、外に出たのは確かなようだった。
冷たい空気が風となって薄絹一枚の体を打ち、ガサガサと葉の擦れる音が聞こえる。どうやら屋敷から出て脇の林に入ったようだ。
「うっ……」
もう口は塞がれていなかったが、風圧により上手く息が吸えなくて声を出すことが出来ない。
涼に抱えられている朔は凍える様な寒さと風圧に耐えながら何とか頭を働かせた。
とりあえず、華を危険な目に遭わせるのは避けられた。その部分にまず安堵する。
そして現状を考えた。涼は自分をどうするつもりなのか。
以前言っていた通り子供を産ませるつもりなのだろうから連れ去るつもりなのは言うまでも無いだろうが、今は屋敷の正門の方で玉兎達と里桃達が戦っているはずだ。
まさかとは思うが、涼は彼等を置いて自分をこのまま連れ去るつもりなのだろうか。
そうだとしたらこのまま大人しくしているわけにはいかない。
涼が里桃達と合流して共に闘うのならば逃げ出す好機を見いだせることもあるかもしれないが、このまま連れ去られるとしたらそんな好機あるか分からない。
涼がどういうつもりなのか分からない以上、朔はこのまま大人しく捕まっているわけにはいかなかった。
だが、今は声も出せない状況。目もうっすらとしか開けることが出来ず、周囲の状況も良く分からない。
このような状態でどうやって逃げ出すべきか……。
考えたが良い手が浮かばない。
どうするべきかと途方に暮れた頃、少し離れた所から派手な音が聞こえてきた。
ドガゥッ!
「――」
それに何を言っているのかは分からないが何人か人の声が聞こえる。おそらく玉兎や里桃達だ。
その音がどんどん大きくなる。どうやら涼はその音の方に向かっているらしい。
それが分かり、取りあえず安心する。少なくともこのまま連れ去られるわけではないようだ。
凍てつく寒さの中、林を走っている涼の足が速度を落とす。途端、横を通り過ぎていた木々が無くなり視界が開ける。
目の前に飛び込んできた光景は、息を飲むものだった。
門はほとんど原形を留めておらず、いつも使っている玄関も崩れた屋根に押し潰され後形も無い。
一体どうすればこの短時間でこんな状態になるのだろう。少なくとも、人の手だけでこんな風には出来ない。
明らかに普通の人間の力以外のものが関わっている。
「ちょっと涼! あんた今までどこ行ってたのよ!?」
涼に抱き上げられたまま呆然と辺りの光景を見ていると、突然苛立ちを隠しもしない女の声が聞こえた。
聞き覚えのあるその声の主は瑠花だった。見ると、脂汗を滲ませ余裕のない表情でこちらを――涼を睨んでいる。
「って、村崎 朔? ……涼、あんた何してんのよ」
朔の姿を確認した瑠花は今度は静かな怒りを潜ませ涼に聞く。冷静にも見えるが、その身体からは明らかに怒りを放っていた。
だが対する涼は彼女の怒りなど気にも留めずに答える。
「こいつには俺の子を産んで貰わなきゃならねぇからな。今回の討伐で死なれるわけにはいかねぇ」
「だから連れてきたっての!? あたしたちは必死に戦ってるってのに!」
そう言って瑠花は自分の背後を指差す。
示した所は門より外に当たる。普段は車を駐車したりしているその開けた場所に、玉兎達と里桃達の姿が見えた。
里桃と、もう一人髪の長い男の人が見える。今まで見聞きした情報から考えると、おそらくあれが紫苑という人物だろう。
対する玉兎達は七人。玉兎と月人、そしてこの日のために召集された五人の男鬼達だ。
玉兎達の方が数が多い分、優勢に見える。少なくとも大きな怪我をしているようには見えない。
そのことにホッと息をつくと、涼がその腕から自分を降ろした。
「分かってるよ。だからちゃんと戻って来たんじゃねぇか」
地に足が付き、これで逃げられると思い涼から離れようとすると腕を掴まれ瑠花の方に投げられた。
「うっわぁ!?」
「きゃぁ!? ちょ、何すんのよ涼!」
その涼の行動は瑠花も予測していなかったらしく、朔をなんとか受け止めるとすぐに涼に抗議する。
「俺も参戦するんだよ。そいつ頼んだぜ? 死なせるなよ?」
言うが早いか、涼は言いたいことを言ってしまうとさっさと里桃達の下へと行ってしまった。
瑠花と共にその場に残され、朔は何とも言えない気分で立ちつくす。
出来ればこのまま逃げて華の下へ戻りたいが、瑠花は逃がしてくれるだろうか。
チラリと視線を向けると彼女の方も自分を見ていた。
視線が合い、何か言うべきかと思ったが言葉が出てこない。
同じクラスで毎日のように顔を見ている二人だが、話したことは一度も無い。
……何とも気まずい空気が流れた。