里桃達が去っていく。
 見えなくなっても、その四つの気配は遠ざかって行く。
 姿が見えなくても気配を感じることが出来たことで、朔はこのとき初めて自分が気配を感じることが出来ているのだと気付いた。
 結界だけでなく、気配を察知する能力も扱えることが出来ている。
 この突然過ぎる変化に、朔は喜びよりも戸惑いを感じていた。
 大切な人達。華や玉兎、そして月人。皆を守れる力が欲しかった。
 ずっとそれを望んでいた。
 だが、自分でも扱いきれないこの大きな力には恐れの感情しか持てない。
 先程里桃達四人を敷地内から弾き飛ばした時も、本当はこんなに大きな結界を張るつもりではなかった。
 ほんの2、3メートル近付けないようにするつもりだった。
 結果的に里桃達はそのまま退却してくれたからそれはそれで良かったが、朔は自分の力をコントロール出来ないことに不安と恐怖を覚える。
(怖い……)
 身を守るように自分の肩を抱き、ただそれだけを思った。
 それからしばらく無音が空間を支配する。しんしんと降る雪だけが変化を見せていた。
 そのまま凍ってしまうのではないかと思われた頃、しわがれた声がその無音の世界を崩壊させる。
「おおっ! これは、何ということか!」
 驚愕とも感嘆とも取れる声色だった。
 皆揃えるように、声の方を見やる。
 そこには今まさに屋敷の方から出てきたであろう老人数名が、こちらを見て目を零れ落ちそうなほど大きく開いていた。
 朔は今まで会ったことは無いが、おそらく彼等はこの屋敷の住人・同じ月鬼の一族の老人達だ。
 老婆の姿が無いのもその証拠だと推測する。
 月鬼は、極端に女が少ないというのだから……。
 老人達は引き寄せられるかのようにふらふらと朔の側に歩き、1メートルほど離れた所で足を止め膝をついた。
 そして、朔を拝むかのように見上げる。
「おお……有り難や。月鬼本来の姿を直に拝めるとは……」
「変転出来る者など、百年以上も前に絶えたと聞くのに……」
「復活じゃ、鬼の血の復活じゃ!」
 その様子はまるで神を前にしているかのようだった。
 だが、実際に彼等の前にいるのは自分。やっと使えるようになった力も満足にコントロール出来ない小娘だ。
(止めて……)
 自分はこんな風に拝まれる様な存在ではない。
 そんな価値もないし、何よりこんなことを望んでいたわけではない。
(私は、ただ守りたかっただけで……)
 こんなあがめられたい訳ではない。
 今まで守ってくれた人達のために、少しでも力になりたかっただけなのだ。
 なのに……。
「朔殿……いや、朔様。貴女がこの屋敷にいて下さって良かった。今後も我等を守り、月鬼を繁栄に導いて下され」
 一番前に膝をついた老人がそう言って頭を下げると、他の老人達もならうようにこうべを垂れた。
 その様子に、朔は更に身体を震わせることになる。
 人を従えることで感じる愉悦などでは決してない。
 それは純粋な恐怖。
 底が見えない自分の力に対して。
 そして、そんな恐ろしい力を持っている自分に対する彼等の態度に……。
 震え、涙が零れそうになる。
 不安と恐怖でどうにかなってしまいそうだった。
 だが、突然肩に何かが優しく触れる。包み込むように、冷えた身体に温もりが伝わって来た。
「爺様方、こんなところでそんな話も無いだろう。彼女の体も冷えきってしまってる。危険も去ったのだし、今日はもう中に戻って休もう」
 いつの間にか近くに来ていた玉兎の言葉に、場の雰囲気が和らぐ。
 同時に朔自身の不安と恐怖も少し和らいだ。
「おお、そうじゃな。雪も本降りの様じゃし早く中に入った方が良さそうじゃ」
 朔に一礼し、老人達は寒い寒いと口にしながら屋敷の中へ戻って行った。
 恐怖の原因の一つだった老人達がいなくなり、朔は安心すると同時に落ち着きを取り戻す。
 何はともあれ里桃達は追い払えたのだ。
 また襲撃してくるかもしれないが、少なくとも今夜の内にということは無いだろう。差し迫った問題は無くなったのだ。
 この力、この姿……確か“変転”と言っていた。
 これに対する不安や疑問は拭えないものの、今すぐにどうにか出来ることではない。
 玉兎の言う通り、今日はもう中に入って休むべきなのだ。
 自然とそう思えるくらいに落ち着けた。
 玉兎の体温がそうさせてくれた。
「玉兎さん、有難う御座います」
「ん? 何がだい?」
 言わずにはいられなくて礼を言ったが、言われた玉兎は何のことだが分からなかったらしい。
「とにかく朔さんも屋敷に入ろう。このままだと風邪をひいてしまうよ」
「あ、はい」
 促されるまま、朔は屋敷へと戻る。
 他の皆も続くように屋敷の中へと戻って行く。
 でも、華だけが動かないことに気付きそちらを見やった。
「っ……」
 瞬間小さく息を飲む。
 何故なら、彼女は朔が見たことも無い顔をしていたから。
 少なくとも、彼女が今まで自分に向けてきた表情とはまるで違う。
 ……こんな驚愕と妬みに満ちた顔、見たことがなかった。
 何か言わなくてはと思うが、何も言葉が出てこない。
 そうしている内に、何も言えないまま屋敷の中に入ってしまった。
 玉兎に部屋まで送ってもらいながら、朔は不安の芽が増えたような気がしていた。
 望んでいた力は手に入った。
 だが、その代償は思った以上に大きいのかもしれない。
 この夜から、確かに、確実に何かが軋み始めていた……。





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