ガラッ
 ノックも無く開け放たれたドアから現れたのは、里桃だった。
 保健室の中を見回し、すぐに朔を見つける。
 朔の姿を捉えた里桃は、驚いた様に目を見張る。
 だが、すぐに真顔に戻った。
 室内に入ってきた里桃は、朔から目を離さずに後ろ手にドアを閉める。
 同時に、鈴を握りしめ音を止ませた。
 朔は里桃の様子を窺いながら、ジリジリと窓に近付き窓枠に手を添える。
 近付いてきた里桃から、何時でも窓を開けて逃げられるように。
 そんな朔に、里桃はゆっくりと口を開いた。
「逃げなくて良い。……別に、今は何もするつもりはない」
 その言葉が嘘か真実かなど判断は出来ない。
 だが、少なくとも里桃からは自分を殺す気は感じ取れなかったので、一旦動きを止める。
 手を伸ばせば届くか届かないかの微妙な距離で、彼は足を止めた。そのまま無言で朔を見つめていた。
 そんな里桃の視線を受けながら、朔も彼を探るように見つめる。
 昨夜刀を向けられたときとは様子が違う。
 だから、少なくとも今は殺すつもりが無いのは分かる。だが、それではなぜここに――自分の下へ来たのかが分からなかった。
 無表情の里桃。交わる視線の先を見ても、特に感情は見えず静かだった。
 何も言わない。探っても分からない。
 そんな里桃に、朔の方が先に表情を崩した。
 眉を寄せ、何なの? とあからさまに表情に出す。
 そうしてから、やっと里桃は口を開いた。
「……姿は戻っても、昨日までとは違うな。内面の変化が、外見にも表れている。と言ったところか……」
 淡々と告げた里桃の言葉に、自分はどんな顔をしていただろう?
 良い顔はしていないことは確かだが……。
(里桃も、か……)
 諦めと、そして僅かな怒りが湧いてくる。
 誰もかれもが変わったと言う。
 確かに変転したことで色々変わってしまったことはあるだろう。
 だが、朔にとってはそれだけだった。
 勿論変化は大きいもの。でも、“村崎 朔”という人間は何も変わっていない。
 守りたいものも守れなくて、足掻くように力を求めていた昨日までのちっぽけな自分と何の変わりもないのだ。
 それでも周囲はそう見ない。外見だけで決めてしまう。
 いい加減、腹が立ってきた。何とも言えない悔しさが湧きあがって来る。
 “私は何も変わってない!”と、思わず叫びそうになった。
 叫ばなかったのは、里桃が思いもよらない言葉を口にしたからだ。
「だが、俺にとってのお前の存在は今までと何ら変わりないがな」
「……」
 虚を突かれたような、そんな気持ちになった。
「俺が最初に見つけた鬼。初めて敵と認識したのはお前だ」
 里桃の腕が伸びる。いつかのように、その手が朔の顎を捕らえた。
 触れた瞬間朔はピクリと反応したが、逃げることはしない。
 その手が自分を害する気配はなかったし、何より彼から視線を外せなかった。
 変わらないと、言った。今までと変わりないと。
 例えそれが、敵として……倒すべき相手だからなのだとしても。それでも、里桃が初めて言ってくれた人だった。今までと何ら変わりないのだと。
 自分を殺そうとした男。今は殺すつもりは無くても、いずれは殺そうとしている男。
 そんな相手だと言うのに、朔はホッとした。
 変転しても、強い力を扱えるようになっても、彼にとって自分の存在は変わりない。
 それは、周囲の変化について行けない朔にとっては救いと同等のものに感じられた。
 里桃の真っすぐな目が近付く。互いに目だけを見つめるほど近く。
 漆黒の瞳は何かを探っている様に見えた。そしてその奥に、何かを求める様な色も垣間見える。
 互いの吐息が掛かるほどに近付くと、流石に朔は慌てた。
 今も危険は感じない。だが、里桃の――異性の顔が普通では有り得ないくらい近付いている。
 その状況そのものに、戸惑いと、何とも言えない恥ずかしさを覚えた。
 そんな朔の心境に気付いているのかいないのか。里桃は楽しげに少し目を細め、囁くように言葉を放つ。
「涼や、他の奴に捕まるなよ?」
 吐息と共に続けられた言葉は、独占的なものにも聞こえた。
「お前は、俺の獲物だ……」
 そう告げた里桃の瞳は、その言葉通り獲物を狙う目をしていた。





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